平井神社の鳥居(城陽市)

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平井神社
平井神社
平井神社
平井神社
平井神社
平井神社
名 称 ・平井神社の鳥居
読み方 ・ひらいじんじゃのとりい
祭 神 ・神速須佐之雄命、竒稲田比売命、八十猛命
場 所 ・京都府城陽市大字平川字東垣外
建築年 ・貞享2年=1685年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石造
形 状 ・−
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・京都府登録有形文化財
評 価 ★★★★★☆☆☆☆☆
感 想 ・−
備 考
平井神社:由来・歴史・概要
・平井神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、古くから当地の氏神として奉斎されてきた神社です。

当初は平川廃寺跡に鎮座していたとされ、火災により大きな被害を受けた事から現在地に遷座し再興されたとも云われています。

平川廃寺は奈良時代中頃に開創され平安時代初期に廃寺になったと推定される古代寺院で、近くには5世紀前半に築造された久津川車塚古墳を中心に久津川古墳群が構成されている事から、古墳群の被葬者の氏寺が平川廃寺で、当社がその鎮守社だった可能性もあります。

因みに平川廃寺は高句麗系渡来人を祖にする氏族である黄文氏の氏寺だったとの説があり、祭神の須佐之雄も高句麗王家の人物だったとの説があります。

古くから神仏習合し別当寺院として真言宗蓮開寺が祭祀を司り、牛頭天王社と号し牛頭天王が祀られていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、仏教色が強い牛頭天王が廃され、同神とされる神速須佐之雄命と関係が深い竒稲田比売命、八十猛命が改めて勧請され明治2年(1869)に社号を平井神社に改め、村社に列格しています。

又、一般的に神仏分離令と吹き荒れた廃仏毀釈運動で別当寺院(神宮寺)は廃寺に追い込まれる例が多いのですが蓮開寺は市内で唯一存続しています。

平井神社本殿は正保2年(1645)に造営された建物で、一間社流造、銅板葺き、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り、三方縁側高欄付、左右脇障子付、彫刻等の意匠は桃山文化を継承、貴重な事から同じく江戸時代初期に造営された若宮神社と共に昭和62年(1987)に京都府登録文化財に登録されています。

境内は神域だった為、古木大木が残され鎮守の森として貴重な事から京都府の文化財環境保全地区に選定されています。

平井神社:付近地図
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