網野神社の鳥居 |
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網野神社 |
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名 称 | ・網野神社の鳥居 |
読み方 | ・あみのじんじゃのとりい |
祭 神 | ・水江日子坐王、住吉大神、水江浦島子神 |
場 所 | ・京都府京丹後市網野町網野 |
建築年 | ・明治14年=1881年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製 |
形 状 | ・高さ5.5m、幅4.4m、柱径46cm |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・国登録有形文化財 |
評 価 | ・★★★★★★☆☆☆☆ |
感 想 | ・参道の幅に合わせている為、やや幅広な印象を受ける鳥居で、笠木は一般的な笠木よりは反りがあるようです。 |
備 考 |
網野神社:由来・歴史・概要
・網野神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、延喜式神名帳に式内社として記載されてる事から平安時代後期には既に奉斎されていた古社です。
丹後国式内社考案記によると当初は網野銚子山古墳上に鎮座し、垂仁天皇の御代に其の奥(網野町桃山地区)に遷座していたと記されている事から古墳時代に開創された可能性があります。 一方、由緒によると、祭神である水江日子坐王、住吉大神(宮ノ奥に鎮座)、水江浦嶋子神(浦島新宮山に鎮座)はそれぞれ別所で祭られており、享徳元年に砂丘の拡大により境内が被害を受けた事から現在地に合併奉遷されたと伝えられています。 地名の「網野」の初見は正倉院に収蔵されている天平4年に記録された文書の中に「竹野郡網野郷」と記され、承平8年に編纂された「和名抄」にもその名を見る事が出来ます。 日本書紀に記されている垂仁天皇の御子である誉津別王の白鳥伝説でも、白鳥の通過した地名として「網野」が出現し、伝承によると垂仁天皇の御代に天湯川桁命が白鳥を捕まえる為に水江に「網を張った」故事が地名の由来になったと伝えられています。 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色を一掃し村社に列格し、昭和18年に府社に昇格しています。 本殿は大正11年に造営された建物で、一間社流造、鉄板葺き、設計は岸熊吉、棟梁は長岡虎造、国登録有形文化財に登録されています。拝殿は昭和4年に建てられた建物で、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、正面千鳥破風、軒唐破風付き、平入、桁行3間、梁間2間、建築面積63u、国登録有形文化財に登録されています。 その他にも渡廊、神饌所、透塀、蠶織神社、手水舎、石鳥居が国登録有形文化財に登録されています。 祭神は水江日子坐王、住吉大神、水江浦嶋子神。
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