瀧天満宮の鳥居 |
全国の歴史的(遺跡・遺構・遺物・建造物)>瀧天満宮 |
瀧天満宮 |
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名 称 | ・瀧天満宮の鳥居 |
読み方 | ・たきてんまんぐうのとりい |
祭 神 | ・菅原道真 |
場 所 | ・福井県小浜市浅間 |
建築年 | ・− |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石造 |
形 状 | ・− |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・− |
文化財 | ・伝統的建造物(工作物) |
評 価 | ・★★★★★☆☆☆☆☆ |
感 想 | ・一の鳥居は丹後街道沿いに平行に建立されていて、左程大きくはありませんが中々存在感が感じられます。社殿は一の鳥居より奥まった所に鎮座しちょっと判りにくいですが、正面に二の鳥居があります。 |
備 考 |
瀧天満宮:由来・歴史・概要
・瀧天満宮が何時頃開創されたのかは判りませんが、隣接する浄土寺の鎮守社だった神社です。
浄土寺は大同年間に弘法大師空海が開創したと伝わる寺院で、当初は真言宗を宗派とし現在の妙楽寺付近に境内を構えていましたが、その後、後瀬山麓の妙興寺付近に遷り、弘安2年に覚阿弥が時宗に改宗開山しています。 元亀年間には越後国守護職の朝倉義景が当社から菅原道真が自ら彫刻したと伝わる像高一寸八分の尊像を越前に持ち帰り聖廟を設けて奉斎したところ、不吉な事が起こった事から浄土寺に返却され謝罪したとされます。 江戸時代に入ると歴代小浜藩主が崇敬庇護し、初代藩主京極高次の正室常高院は尊像(天神像)の補修を行っています。 小浜町民、郷民からも篤く信仰され慶長2年には逸見助左衛門尉直世が三十六歌仙の書額を奉納しています。 明治時代初頭に発令された神仏分離令により浄土寺からは分離しています。 名水として知られた瀧の水の近くに鎮座している事から「瀧の天神」との異名があり、毎年7月の後半に開催される例祭では近隣の住民や信者達が大勢集まるそうです。 境内地が国から小浜西組伝統的建造物群保存地区に選定されると社殿が伝統的建造物(建築物)、石鳥居と石燈籠が伝統的建造物(工作物)に選定されています。
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瀧天満宮:付近地図 |
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