賀茂神社の鳥居

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賀茂神社
賀茂神社
名 称 ・賀茂神社の鳥居
読み方 ・かもじんじゃのとりい
祭 神 ・別雷神、伊賀古夜比賣命、玉依姫命、大巳貴命
場 所 ・福井県福井市加茂町
建築年 ・伝:元禄年間(1688〜1703年)
種 類 ・両部鳥居
材 質 ・木製(境内にあった大杉)
形 状 ・高さ8.1m、幅6.7m、柱周囲2.3m
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・福井県指定文化財
評 価 ★★★★★★★★☆☆
感 想 ・賀茂神社の鳥居の大きさは福井県内では気比神宮に次ぐ規模で、扁額「賀茂下上大明神」は江戸時代の福井藩儒学者である伊藤坦庵筆とも云われています。伊藤坦庵は京都出身で江村専斎や曲直瀬玄理に師事し当初は医者を志しましたが、那波活所の門人になった事で儒学を学び、その後、福井藩に仕えるようになりました。
備 考
賀茂神社:由来・歴史・概要
・賀茂神社は養老元年に神官の祖である廣部民部が京都の上賀茂神社、下賀茂神社の両社から御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。

延喜式神明帳に式内社として記載されている丹生郡「雷神社」の論社で古くから格式の高い神社として認識されていました。

平安時代に越前国司として赴任してきた源満仲が篤く帰依し、南北朝時代には護良親王が社領の寄進や諸役免除等を行っています。

戦国時代には越前守護の朝倉氏の庇護により社運も隆盛していましたが、織田信長の越前侵攻により朝倉氏は滅び天正年間に一向一揆の兵火により大きな被害を受け衰微しました。

その後再興され羽柴秀吉、丹羽長秀などが庇護し禁制高礼を発布し保護に勤めています。

江戸時代に入ると福井藩主松平家が崇敬し藩主の社参が代替りの度毎に行われるのが常としました。元禄年間と明和3年にも火災で社殿が焼失しましたが、随時再建が行われています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、郷社に列格しています。

本殿は享和元年に再建された建物で、三間社入母屋造、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、正面3間軒唐破風向拝付。

2月14日に行われる賀茂神社睦月神事は貴重な事から国の重要無形民俗文化財に指定されています。

祭神は別雷神、伊賀古夜比賣命、玉依姫命、大巳貴命。

参考:鳥居・探勝:福井県編

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