都美恵神社の鳥居

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都美恵神社
都美恵神社
都美恵神社
都美恵神社
都美恵神社
都美恵神社
名 称 ・都美恵神社の鳥居
読み方 ・つみえじんじゃのとりい
祭 神 ・栲幡千々比賣命・配祀神:經津主命、布都御魂神
・合祀神:応神天皇、健速須佐之男命、稲田比売命、仁徳天皇、天穂日命、火産霊命、大山祇命、三筒男命、安閑天皇、大山咋神、建御名方命、大日ツ貴命、埴山比売命、弥都波能売命、市杵島比売命、伊弉冊命、菊理比当ス、天太玉命、宇気母智命、伊勢津彦命、天手力男命、倭姫命、武甕槌命、宇迦能御魂命、天津彦火瓊瓊杵命、木花佐久夜比売命、八坂刀売命、玉依比売命、建角身命、猿田彦大神、天御柱命、国御柱命、火之迦具土命
場 所 ・三重県伊賀市柘植町
建築年 ・寛文12年=1672年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
形 状 ・高さ4m、幅3.5m
製作者 ・−
奉納者 ・−
文化財 ・伊賀市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・端正な鳥居でころびがややある為、力強さを感じます。
備 考
都美恵神社:由来・歴史・概要
・都美恵神社が何時頃開創されのかは判りませんが、当初は霊山の中腹の位置する穴師谷に鎮座し「穴石大明神」と呼ばれていました。

一説には2〜3世紀頃に出雲建子命(伊勢津彦の神・天櫛玉命)が当地に入植し石造りの城を築城、それを阿倍志彦の神が攻めたものの敗北し去って云った事が伊勢風土記逸文に記されている事から、それらの氏族が奉斎していた神が穴師谷に祭られていたとも云われています。

伊勢風土記逸文によると「伊賀の事志の社に坐す神、出雲の神の子出雲建子命、又の名は伊勢津彦の神、又の名天櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、其の地に坐しき、ここに阿倍志彦の神、来り集い勝たずして還り却りき。因りて名を為しき云々」と記されており、「伊勢」の地名の由来とも云われています。

延長5年に編纂された延喜式神名帳に式内社「伊賀国阿拝郡 穴石神社」の論社で、古くから格式の高い神社として知られていました。

一方、「皇太神宮儀式帳」に記されている「阿閇柘殖宮」、「倭姫命世記」に記されている「敢都美恵宮」の論社、所謂 元伊勢の一つで現在の社号の由来となっています。

その後は上柘植村の産土神として奉斎されてきましたが、寛永21年に大洪水で境内が大きな被害を受けた為、正保3年に現在地に遷座しました。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を「穴石神社」に改め、明治4年に村社に列格、明治42年に周辺の鎮守を合祀した事で柘植郷の総鎮守に格付けられ、大正11年に社号を「都美恵神社」に改称しています。

昭和23年に奉納された岡林の花踊り図絵馬は縦59.2cm×横95.5cm、貴重な事から伊賀市指定有形民俗文化財に指定されています。

穴石神社棟札(寛文12年:1672年)と倉部天神社棟札(文亀元年:1501年)は貴重な事から伊賀市指定文化財に指定されています。

主祭神は栲幡千々比売命。配祀は布都御魂命、布津主命。合祀神は33柱。

参考:鳥居・探勝:三重県編

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