関神社の鳥居

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関神社
関神社
関神社
関神社
名 称 ・関神社の鳥居
読み方 ・せきじんじゃのとりい
祭 神 ・主祭神:天照大御神・味内宿禰
・配祀神:伊邪那美命・天太玉命・天手力男命・大山祇神・火之迦具土命・菅原道真・木花佐久夜比売命・倭比売命・生井神・石凝姥命・金山比古命・応神天皇・天児屋根命・月夜見命・天津彦根命・活津比古根命・熊野久須毘命・多紀理比売命・栄井神・市寸嶋比売命・大己貴命・建速須佐之男命・白山比売命・武内宿禰・保食神・大山咋命・宇迦之御魂命・天宇受売命・天忍穂耳命・天穂日命・多岐津比売命
場 所 ・三重県亀山市関町木崎
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・石製
文化財 ・伝統的建造物(工作物)
評 価 ★★★★★☆☆☆☆☆
感 想 ・端正な明神鳥居でバランスがいいですね。
備 考
関神社:由来・歴史・概要
・勧請年月不詳。関神社は伝承によると文明11年に加行山に鎮座していた鈴鹿山麓七郷の総社である笛吹大神社から御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。

元々、当村(新所村)では加行山の笛吹大神社の祭神である笛吹明神を奉斎していましたが、加行山は鈴鹿川を渡る必要性があり参拝が難儀だった事から、文明11年に当地(明神の森)に笛吹明神の分霊を勧請し開創したとされます。

例祭で行われる神輿の渡御は、この故事を伝えるもので、「高い山から谷底みればノー 瓜やなすびの花盛りノー アレハ ドンドンドン コレハ ドンドンドン」と歌い継がれています。

その後、領主である関実忠が紀州熊野大社から御霊を勧請合祀し熊野三所大権現と呼ばれるようになりました。

元和7年、寛永14年、元文4年に社殿が改修されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治5年に社号を熊野皇大神社に改め、明治41年に周辺に鎮座していた大井神社、片山神社、白石神社、宇佐八幡宮等を合祀し社号を関神社に改称しています。

明治元年に明治天皇巡幸の際、関宿の川北本陣に宿泊した際に利用された湯殿が社務所として移築されていましたが、現在は失われています。

拝殿は木造平屋建て、切妻、本瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付、外壁は白漆喰仕上げ。本殿は一間社神明造、銅板葺き。

亀山市関宿が国の伝統的建造物群保存地区選定されると社殿と鳥居、石灯籠、狛犬等が伝統的建造物に指定されています。

関神社:付近地図
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