吉川八幡神社の鳥居 |
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吉川八幡神社 |
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名 称 | ・吉川八幡神社の鳥居 |
読み方 | ・きっかわはちまんじんじゃのとりい |
祭 神 | ・誉田別命(第15代応神天皇) |
場 所 | ・静岡県静岡市清水区吉川 |
建築年 | ・寛政元年=1789年 |
種 類 | ・明神鳥居 |
材 質 | ・石製 |
形 状 | ・− |
製作者 | ・− |
奉納者 | ・岩国藩第7代当主 吉川経倫 |
文化財 | ・静岡市指定文化財 |
評 価 | ・★★★★★★★☆☆☆ |
感 想 | ・吉川経倫が奉納した鳥居は老朽化が原因なのか、解体され部材だけが保存された状態となっています。柱には鳥居を奉納した経緯が刻まれており、その文字には朱が入れられ不思議な印象があります。御墓では生前墓の場合、名前や戒名等に朱を入れる例がありますが、鳥居の銘が朱色なのは初めてみました。 |
備 考 |
吉川八幡神社:由来・歴史・概要
・吉川八幡神社が何時頃に開創されたのかは判りませんが、当社は吉川家の氏神で、居館だった吉川館の乾鎮護の為に創建されたと伝わる神社です。
吉川氏は藤原南家工藤流の流れをくむ氏族で、入江景義の子であった経義が駿河国入江荘吉川(現在静岡市清水区)を本貫地とした事から地名に因み「吉川」姓を掲げたとされます。 正和2年に吉川経高が安芸国大朝本荘に地頭として赴任し当地を離れましたが、引き続き当社を崇敬し、江戸時代の参勤交代で当地を通過する際には必ず参拝したそうです。 社殿の造営や修繕等は吉川家が賄っており、当鳥居も寄進しています。 明治22年に東海道本線が境内を通る事となり敷地の3分の2を失い、昭和3年には拝殿が造営されたものの昭和20年に太平洋戦争でアメリカ軍の焼夷弾に被災し焼失しています。
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