大頭龍神社の鳥居

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大頭龍神社

大頭龍神社の鳥居の写真
大頭龍神社:鳥居

大頭龍神社の参道と拝殿の写真
大頭龍神社:拝殿

大頭龍神社の御神体山遥拝所の写真
大頭龍神社:御神体山遥拝所
名 称 ・大頭龍神社の鳥居
読み方 ・だいとうりゅうじんじゃのとりい
祭 神 ・大物主神、大山咋神、出雲龍神
場 所 ・静岡県菊川市加茂
建築年 ・文政7年=1824年
種 類 ・明神鳥居
材 質 ・青銅製
形 状 ・高さ6.0m、笠木幅7.5m
製作者 ・山田七郎左衛門(遠州国森町)、中尾重右衛門藤原道寛(三河国北金屋)
奉納者 ・掛塚砂町、山内市衛門、大手長蔵、原丈左衛門、大手長三郎、鈴木三郎右衛門、林文吉、林三治郎、山下八右衛門、長谷川彦兵衛、長谷川伊左衛門、鈴木小平治、増布川善五郎、川口屋弥助、吉田屋長兵衛、川口屋佐右衛門、駒場村、泉屋喜右衛門、喜多野武兵衛、大白羽村、堀之内村、鈴木半蔵、高木村、平間村、草崎村等
文化財 ・菊川市指定文化財
評 価 ★★★★★★★☆☆☆
感 想 ・江戸時代後期という時代背景や著名な職人さんが制作しただけあって、完成度の高い鳥居です。地方色を廃した洗練されたフォルムで、逆に何故楔が左右非対称なのか不思議な感じです。何か理由があるのでしょうか?
備 考
大頭龍神社:由来・歴史・概要
・大頭龍神社は延暦11年に開創されたと伝わる神社です。

境内の旧地名「加茂村白岩字馬場」、祭神が大物主大神・大山咋大神である事から賀茂氏や大神氏と関係が深い神社だったと推定されますが、天正2年に行われた高天神城攻防戦の際、武田勢による焼き討ちにより社殿、記録、社宝等が焼失した為、これ以前の詳しい由緒が失われています。

天正8年に当社の奥之院だったとされる大頭龍権現と、麓に境内を構え当社と共に焼失した大龍院の鎮守社である山王権現を相殿として再興されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色を一掃し明治6年に現在の社号である大頭龍神社に改称しています。

当社の鳥居は楔が左右非対称という特徴を持ち青銅製鳥居としては遠州最大規模で貴重な事から菊川市指定文化財に指定されています。

拝殿は宝暦13年に造営された建物で、木造平屋建、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、正面1間唐破風向拝付。本殿は文化11年に造営された建物で、一間社流造、銅板葺き。

社殿背後の高台は「御山」と呼ばれる信仰の山で、頂上の「御天上」は禁足地で特殊神事の「お山のぼり」のみ踏み入れる事が許され神饌と祝詞が捧げられる。

「御天上」には自然石群があり、磐座とも石神とも云われ、普段は御簾と竹垣で完全に隠されており民俗学的にも興味深い所として評価されています。

参考:鳥居・探勝:静岡県編

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