清見寺

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清見寺

清見寺:画像
清見寺:総門・高麗門 清見寺:山門・四脚門 清見寺:本堂 清見寺:庫裏大玄関 清見寺:庭園・石造羅漢像
名 称 ・清見寺
読み方 ・せいけんじ
宗 派 ・臨済宗 妙心寺派
山 号 ・巨鼇山
本 尊 ・釈迦如来
場 所 ・静岡県静岡市清水区興津清見寺町
備 考
清見寺:由来・歴史・概要
・清見寺は天武天皇の御代、白鳳年間に清見関が設置された際、関所の守護神を奉斎する為に設けられた仏堂が始まりと伝えられています。

その後、天台宗の寺院として成立したようですが衰微した為、弘長2年に関聖上人(無伝聖禅禅師)が臨済宗寺院として再興、その際、師である弁円を中興開山として勧請しています。

室町時代に入ると足利将軍家の帰依を受け、天下十刹制度が確立すると康永元年には初代将軍足利尊氏の推薦によりその一寺に組み込まれています。

戦国時代に入ると、領主である今川家の帰依を受け、兵火により大きな被害を受けると天文9年には今川義元の支援を受け太原雪斎が再興しています。

徳川家康は今川義元の人質時代の天文19年に清見寺で太原雪斎から教育を受けた事から、晩年、駿府城に隠居した際には篤く帰依し、寺領200石余が安堵されました。

その後も、家康の三女である静照院殿が本尊の釋迦弁尼仏と大方丈の大玄関を寄進する等、篤く帰依し、寺紋として徳川家の家紋と同じ三葉葵を掲げる事を許されています。

又、東海道を利用した朝鮮通信使や琉球使が当地を通過した際、当寺で接待が行われた事から、朝鮮通信使遺跡として国指定史跡に指定されています。

清見寺庭園は江戸時代初期に徳川家康の意見を採り入れながら山本道斎が作庭した築山池泉廻遊観賞園で、貴重な事から国指定名勝に指定されています。

寺宝として宋版石林先生尚書伝 自巻第一至第四 紹興二十九年仲夏刊記を所有し、貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

参考:高麗門:静岡県編

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