甘露寺

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甘露寺

名 称 ・甘露寺
読み方 ・かんろじ
宗 派 ・臨済宗方広寺派
山 号 ・法雨山
本 尊 ・釈迦牟尼
場 所 ・静岡県浜松市東区中郡町
備 考
甘露寺:由来・歴史・概要
・法雨山甘露寺は弘仁年間(810〜824年)に内乱により多くの犠牲者の御霊を慰める為に真言宗の開祖である弘法大師空海が開創したと伝えられています。

最盛期には境内に観音堂や地蔵堂、弁財天等の堂宇が整備され、12坊を擁する真言宗の寺院として寺運も隆盛しています。

明徳元年(1390)に臨済宗に改宗し、長禄年間(1457〜1460年)に南禅寺伯英和尚の嗣子傑堂和尚が改めて開山しています。

応仁の乱の兵火により大きな被害を受けましたが、その後再興され、戦国時代には徳川家の帰依を受け、徳川家康が浜松城の城主時代には側室の阿茶局を伴い度々、境内の梅園を訪れ中でも気に入った梅の木を「未開紅甘露梅」と名付けたと伝えられています。

享保9年(1724)には甘露寺で観梅歌会が開催されており、その際、多くの歌人や学者が集まり、中でも当時の著名な国学者で、歌人だった賀茂真淵も参加しており「いかばかり咲くやこの花ながめけむ 言葉の匂ひこれもえならぬ」の歌を残しています。

元治元年(1864)の火災で中門と楼門を残し多くの堂宇、寺宝、記録等を焼失しています。

中門は天正年間(1573〜1592年)に建てられた建物で、一間一戸、桟瓦葺、平唐門、貴重な事から浜松市指定文化財に指定されています。

参考:唐門:静岡県編

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