長源寺

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長源寺
長源寺 長源寺 長源寺 長源寺
場 所 ・埼玉県所沢市下安松
備 考
長源寺:由来・歴史・概要
・長源寺が何時頃開創されたのかは不詳ですが、当初は天台宗の大寺院で、寺領は多摩郡まで及び多くの伽藍があり、境内の土中からは壺や太刀、茶碗等が見つかり上安松の山王社(現在の安松神社)はその守護神だったとされます。

その後、荒廃しましたが、戦国時代に八王子城の城主北条陸奥守氏照が大旦那となり養父である大石源左衛門定久の追善供養の為に傑用徳英禅師を招いて曹洞宗の寺院として中興開山しています。

ただし、大石定久(道俊)は天文18年(1549)に死去し、氏照は天文11年(1542)に生まれ、弘治元年(1555)頃まで大石家の当主は大石綱周である事から定久(道俊)の子供である憲重が北条氏綱から偏諱を賜り「綱周」に改め、その後、北条氏照を養子に迎えたとの説が有力とされます。

長源寺は北条家から篤い庇護を受けていたと思われますが氏照は天正18年(1590)に発生した小田原の役で小田原城に籠城し、開城後は自害が命じられ切腹して果てた事から外護者を失っています。

代わって徳川家康が関東に入封すると天正19年(1591)に朱印地10石が安堵されています。

山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、間口290cm、四脚門形式、総欅造り、軒下には「獅子」、「波に千鳥」を模った精緻な彫刻が施されており、貴重な事から昭和48年9月7日に所沢市指定文化財に指定されています。

長源寺が寛政2年(1790)に奉行所に提出した「差上申寺中坪数諸堂絵図面之事」は当時の境内に庫裡、茶堂、物置、雪隠、氷川社、神明社、鎮守社や失われた建物の基礎が描かれているもので、貴重な事から昭和48年9月7日に所沢市指定文化財に指定されています。

長源寺(埼玉県所沢市下安松):動画

長源寺:付近地図

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