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大谷場氷川神社:由来・歴史・概要
・大谷場氷川神社が何時頃開創されたのかは不詳ですが、古くから大谷場村の鎮守として篤く奉斎されてきたと伝えられています。
往時の境内は神域だった事から古木大木が生い茂り、そこに棲み付いた雉子がまるで当社祭神の使いのようだった為、「雉子の氷川様」とも呼ばれました。
江戸時代初期に火災によって大きな被害を受け、それに伴い今迄の古文書や由緒が失われた為、これ以前の歴史は不詳となっています。
一方、天保元年(1830)の「新編武蔵風土記」に記され、本殿には宝暦年間(1751〜1753年)に制作された像高一尺二寸余りの束帯立烏帽子姿の白木の神像が安置されている事等から格式の高い神社だった事が窺えます。
往時から神仏習合し別当寺院である真言宗華徳院が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃される事となり明治4年(1871)に華徳院は廃寺、明治6年(1873)に村社に列格しています。
明治41年(1908)に近隣の鎮守である八幡社・市杵島社・天神社・白山神社・稲荷社(二社)・御嶽社の合計7社を合祀しています。
現在の本殿は寛文6年(1666)に造営された建物で、三間社流見世棚造、板葺、桁行2.869m、梁間1.235m、正面三間向拝付、外壁は真壁造り板張り、市内には見世棚造の神社本殿建築の遺構が少なく貴重な事から、平成3年(1991)にさいたま市指定文化財に指定されています。
境内のユリノキは明治27年(1894)に日清戦争凱旋記念として植樹されたもので樹高約21.8m、幹周3.15m、枝下8.5m、貴重な事から平成8年(1996)にさいたま市指定天然記念物に指定されています。
大谷場氷川神社(さいたま市南区南本町):動画
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