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歓喜院:由来・歴史・概要
・妻沼山聖天堂は治承3年に当時の庄司だった齊藤別当実盛が当地の総鎮守として聖天を勧請し開創したと伝わる真言宗の寺院です。
建久8年(1197)には実盛の次男である阿請房良応僧都が関東八か国を勧進し御堂を修復する共に本坊となる別当坊歓喜院長楽寺を開創し聖天行者の修行所としています。
鎌倉時代初期には初代将軍源頼朝が参拝に訪れています。
室町時代に入ると忍城主成田家が庇護し、天文21年(1552)には成田長康・氏長父子が堂宇の再建が行われます。
江戸時代に入ると徳川家康が庇護し、慶長9年には聖天堂を造営し寺領50石を安堵しています。
生駒聖天(奈良県:宝山寺)、待乳山聖天(東京都:本龍院)と共に日本三大聖天の一つとして信仰を広げ多くの参拝者が訪れました。
古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により神式を一掃し寺院として確立しています。
聖天堂は享保20年(1735)から宝暦10年(1760)にかけて建てられた建物で、拝殿と中殿(相の間)、奥殿の3棟で構成される廟型式権現造。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、桁行5間、梁間3間。中殿は両下造、銅瓦棒葺き、桁行3間、梁間1間。奥殿は三間社入母屋造り、桁行3間、梁間3間、銅瓦棒葺き、三棟とも精緻な彫刻が施され極彩色で彩られています。
棟梁は幕府作事方棟梁の平内政信の子孫である林兵庫正清、正信父子が担当しています。
歓喜院聖天堂(本殿)は極めて貴重な事から国宝に指定されています。
貴惣門は嘉永4年(1851)に建てられた建物で、切妻、銅瓦棒葺き、下層部屋根は前後に切妻屋根、八脚二重楼門、桁行3間(9m)、梁間2間(5.2m)、軒高13.3m、棟梁は林正道、貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
高野山準別格本山。関東八十八ヶ所霊場:第88番結願所。関東三十三番観音霊場:第16番。幡羅郡八十八ヶ所霊場:第13番。彩の国武州路十二支霊場午歳札所。
歓喜院(埼玉県熊谷市妻沼):動画
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