金鑚神社

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金鑚神社
金鑚神社 金鑚神社 金鑚神社 金鑚神社 金鑚神社 金鑚神社
場 所 ・埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
備 考
金鑚神社:由来・歴史・概要
・金鑚神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、由緒によると景行天皇41年(111)に日本武尊が東夷東征で当地まで進軍してきた際、草薙剣と共に倭姫命から授かった火鑽金を祭神となる天照皇太神と素戔嗚尊の二柱の御霊代として御室山(御室ヶ獄:標高343.4m)の山中に納めて奉斎したのが始まりと伝えられています。

金鑚神社は格式が高く、「日本三代実録」の貞観4年(862)6月4日の条には「武蔵国正六位上金佐奈神列於官社」と記されています。

さらに、貞観4年(862)8月6日には従五位下に昇格し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され、武蔵国二宮に格付けられています。

早くから神仏習合し本地仏として弥勒菩薩を奉斎し、「五宮金鑽大明神」と号され「武蔵六所大明神(武州六大明神)」に数えられる等、広く信仰を広げました。

中世に入り当地が武蔵七党の1つに数えられた丹党の支配下になると、当地に配された安保氏(阿保氏)から篤く庇護され、天文3年(1534)に阿保弾正全隆が大旦那となり多宝塔を寄進しています。

御室山に築かれた御嶽城には安保氏が城主を担っていましたが、天文21年(1552)に北条氏康に強襲され落城、当時の城主安保泰広は降伏しています。

その後は小田原北条氏に従った平沢(長井)豊前守政実が御嶽城に入り、当社を篤く庇護したとされます。

元亀元年(1570)に武田信玄の侵攻により御嶽城は落城、政実は降伏し武田家に従ったものの、元亀2年(1571)に武田家と北条家の間に同盟が成立すると、元亀3年(1572)に御嶽城は北条方に明け渡された為、当社は鉢形城主である北条氏邦の庇護を受ける事となります。

江戸時代に入ると幕府が庇護し社領30石が安堵されています。

長く別当寺院である大光普照寺(金鑚寺)が祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され、明治6年(1873)に県社に列格し、明治18年(1885)には官幣中社に昇格しています。

本殿が無いのが特徴の一つで、拝殿背後に設けられた中門の延長上には御神体となる御室山が控えており、古代からの信仰の形態を現在に伝えています。

多宝塔は天文3年(1534)に造営された建物で高さ13.8m、宝形屋根、こけら葺き、桁行3間、梁間3間、二重塔婆、貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

「鏡岩」は約1億年前に八王子構造線が形成された際の断層と推定されるもので、高さ約4m、幅約9m、北向約30度の傾斜、赤鉄石英片岩、表面は鏡面のように光を反射する程平で滑らか、貴重な事から特別天然記念物に指定されています。

金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町二ノ宮):動画

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