天崇寺

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天崇寺

名 称 ・天崇寺
読み方 ・てんそうじ
宗 派 ・浄土宗
山 号 ・極楽山
本 尊 ・阿弥陀如来
場 所 ・新潟県上越市寺町
備 考
天崇寺:由来・歴史・概要
・天崇寺は天正10年に上杉謙信を開基として開創された浄土宗の寺院で、当初は春日山城の城下町に境内を構えていましたが、高田城が築城され城下町が町割りされると現在地に移転しています。

その後は越後中将家(松平)の菩提寺として庇護され、松平家の家紋である「三葉葵」を掲げる事を許されています。

元々は「長恩寺」と号していましたが、明治時代に「極楽寺」と合併し、現在の寺号である「天崇寺」に改められています。

寺号は2代将軍徳川秀忠の三女で松平忠直(結城秀康の嫡男・福井藩主)の正室である勝姫の戒名「天崇院穏誉泰安豊寿大善女人」に因むもので、忠直が強制隠居させられ、嗣子である松平光長(仙千代)が高田藩に移封になると、勝姫も高田に入り「高田様」や「高田姫」とも呼ばれました。

境内には勝姫と勝姫の娘で高松宮好仁親王の妃となった亀姫の墓碑が建立されています。

山門は「越後頚城郡誌稿」によると高田城蹴出門と同型と記される建物で、明和6年建築、切妻、銅板葺、一間一戸、高麗門形式、貴重な事から上越市指定文化財に指定されています。

参考:高麗門:新潟県編

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