三沢氏居館(奥州市)の表門

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三沢氏居館
三沢氏居館の画像
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名 称 ・三沢氏居館の表門
読み方 ・みさわしきょかんのおもてもん
場 所 ・岩手県奥州市前沢下小路
建築年 ・江戸時代
種 類 薬医門
形 状 ・切妻、桟瓦葺き、三間一戸
文化財 ・−
備 考
三沢氏居館:由来・歴史・概要
・前沢の地は江戸時代に仙台藩に属し三沢氏居館は、仙台藩の行政区では「前沢所」と呼ばれていました。

江戸時代に一国一城令が発令されると全国の多くの城郭が廃城となりましたが、仙台藩は大藩で家臣達は小領主的な存在だった事から、本城である仙台城と支城の白石城の他、粗城郭を継承した「要害」と陣屋構えの「所」が認められていました。

前沢領では「所」だった事から戦国時代に当地の軍事、行政の中心だった前沢城を廃して麓に陣屋構えの居館が設けられました。

前田所には仙台藩主伊達家に従った大内氏→成田氏→飯坂氏の諸氏が歴任し天和2年(1682)以降、明治維新まで約190年間は三沢氏が知行しました。

三沢氏は元々長府藩主毛利家に従っていましたが、三沢為虎の子供である三沢為基が長府藩を出奔し仙台藩主伊達家に仕えるようになりました。

為基の子供である三沢清長の娘、三沢初子が仙台藩3代藩主伊達綱宗の側室として嫁ぎ、伊達綱村、伊達村和、伊達宗贇の生母となり綱村は仙台藩4代藩主に就任した事から三沢家は伊達家の一門に列格しました。

前田所には初子の弟である三沢宗直が3千石で配され、以後、三沢村為→村清→村保→村延→宗為→邦明→邦為、と8代に渡り領主を歴任しています。

三沢氏居館(前田所)は案内板によると、三沢氏の館は前沢小学校校舎とこれに続く山裾の一町歩以上の広さで、正面には南北に伸びる水堀が設けられ、水堀に掛けられた木造橋を渡ると表門、左側に道場、表門を入ると正面に御書院、御給主室、台所、その後の別棟には仏間がありました。

さらに、その奥には南と北にそれぞれ御殿が建てられ、西端には武器庫が配されていました。

明治4年に廃藩置県が施行され仙台藩が廃藩になると前田所は胆沢県庁として利用されましたが、その後一条氏に払い下げとなっています。

三沢氏居館の表門は一条氏から小山字斉藤の農家によって買い取られ、さらに古城字明後沢の阿部氏の手に渡り、阿部氏から寄付された事を受け旧三沢氏居館の跡地である現在地に移築されています。

三沢氏居館表門:付近地図
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